電話が鳴り、起こされる。
新セン六大茶山の叶さんからだ。出発前に深センで行きつけの六大茶山のお茶屋で今度雲南に行くのだという話をしたときに、社長と仲がいいから紹介してあげるといわれた。コネ文化中国である。電話で彼女は「今日なら社長会社にいるみたいよ。行ってみたら?」という。
タクシーに乗り六大茶山の本社を目指す。
六大茶山の本社は大通りからちょっと路地に入ったところにあるビルの4階にあった。受付で、社長に会いにきたと告げると、まずはこちらへと副社長室に通される。
副社長の戚さんは50才ぐらいの恰幅がいいが気さくなオジサンである。お茶を入れていただき世間話をする。中国のお茶屋ではどこに行っても誰にでもお茶を入れてくれる。そして世間話が始まりその人がどんな人かを見ていく。戚さんは我々がこの辺りでは珍しい外人を連れた客なので興味を持ってくれたようで色々と話が盛り上がる。そして話が盛り上がるにつれておいしいお茶がでてくる。
この時飲んだプーアル茶でおお!と思ったのは俊昌號である。俊昌号は六大茶山の社長院殿蓉女史にゆかりのある古い茶荘が1920頃に作っていたお茶で、俊昌号自体は共産党による茶廠の国有化とともに消えてしまったが、それを院殿蓉社長自らによる調査と研究によって復元したお茶である。
そして、俊昌号は六大茶山の最高級茶シリーズで使用されている茶葉は野生喬木茶葉。そして俊昌豪には生茶と熟茶が有る。熟茶は俊昌号が評判を得た1920年頃にはなかったが、俊昌号生茶と同じ製法で作られた晒青毛茶を原料に熟茶に仕上げているお茶だ。
熟茶の技術が安定していない頃、最高級茶葉を原料に熟茶を作るなんてもったいない!という意見があった。実際わたしもそう思っていたし、現在でも伝統的な考えに基づく人は最高級茶葉で作られた熟茶を認めないこともある。しかし、現在では熟茶の技術も進み、最高級茶葉の持ち味を活かして作られた熟茶はまた格別の味わいがある。
古樹茶葉を使用して作られた熟茶は熟成度を軽めにして、茶葉の風味を残すように仕上げてある。この俊昌號もお茶を入れたときに鼻を抜ける陳香の奥に花の蜜のようなフレッシュな香りを感じることのできるお茶である。
これは美味しいという素直な感想を戚さんに伝えると、これは六大茶山の鳳慶工場で作られているのだという。六大茶山の鳳慶工場と言えば、全室ガラス張りでクリーンルーム、その衛生管理の高さでプーアル茶業界では有名な工場である。鳳慶工場についての話が盛り上がると、「せっかく雲南まで来たのだから見に行くか?」と戚さんがいう。「ええ、いいの?」話が俄然盛り上がる。「工場長に話しておこう」「でも写真とるのは禁止」などど話はどんどんと進んでいく。「せっかくだから会社紹介のプレゼンでも見る?」、「せっかくなのでお願いします」となりの友人もなんか楽しそうだからいいか。会議室に案内され、戚さんがプレゼンをし終わった頃、社長が帰ってきた。
「じゃあ、社長と会うか?」なんともとんとんと話が進むすごい日だ。戚さんに案内され社長室を訪れる。ノックをすると、院殿蓉さんがドアを開け中に招き入れてくれた。
社長室はさすがに広くすてきなお茶とすてきな調度品が並べられている。そして本を何冊も執筆している院殿蓉さんだけあって本棚にずらりと並ぶ本達は圧巻である。院殿蓉さんのテーブルの前に招かれまたお茶をいただく。「熟茶と生茶どちらがいいかしら?」「生茶でお願いします」「俊昌号はさっき飲んだのよね、じゃあ」といって院殿蓉さんは彼女のコレクションの中から1985年頃の中茶牌の7532を出していれてくれた。
中茶牌の7532は偽物が大量に作られていることでもしられているが、これはさすがに本物。現在では10万円以上の値のつく名茶である。そんなおいしいお茶を飲みながら色々なお茶の話で盛り上がる。中国語を話さない友人もわたしが英語で通訳をしながらしっかりと会話に参加している。すると彼女が友人に「あなたもうちのお茶を売らない?」などと勧めてくる。さすがの友人もそれには驚いて遠慮していた。そんなこんなで最後に鳳慶工場に見学行けるのかということを確認すると彼女自ら工場長に電話して予定を入れてくれた。
気がつくと六大茶山に来てもう3時間。お茶を飲みながら楽しむ会話はあっという間にすぎていく。戚さんも院殿蓉さんもとても気さくに出迎えてくれて何とも充実した実りのある一日だった。